奥田先生:
大阪大学を卒業後、外科医になられた転機はいかがでしたか?
岡先生:
もともと消化器内科にいたのですが、森教授が大阪大学の外科教授になられた時に研修医としてリクルートされて外科に移りました。
奥田先生:
塩崎先生のもとで食道領域の手術だけでなく研究も行われていましたが、その時の状況はいかがでしたか?
岡先生:
私は肝胆膵に興味があったのですが、塩崎先生の人柄と手術実績をみて、胃食道領域の研究室に入りました。
そこで、E-カドヘリンというテーマをいただいて、いくつか論文を出しました。
奥田先生:
大学教授や大病院の部長になる選択肢もあったと思うのですが、お父様の声掛けで病院を継ぐことになったのでしょうか?
岡先生:
外科医としては手術や研究活動を積み重ねて、基幹病院の部長や大学のチーフになることを目指していました。
しかし、父の病院が経営破綻してしまいました。
最初は一時的に助けるつもりで行ったのですが、誰かが病院を継がないと閉院してしまう状況で、地域の患者さんや職員に迷惑をかけられないと思い、33歳で病院を継ぐことになりました。
がむしゃらにやるしかありませんでしたが、やるからには病院を立て直し、民間病院でハイレベルな医療を提供したいと思いました。
奥田先生:
断らない病院として腹部救急医療に重点を置かれたのは、どのような理由ですか?
岡先生:
民間病院の利点はフットワークが軽いことです。
例えば、高齢者やリスクのある患者さんの急性腹症などは、大学病院や基幹病院はがんの治療で手一杯なので対応できません。
そこで、民間病院で救急を受け入れて地域の人に還元する。
病院の全体的な症例数も増えます。
奥田先生:
人材育成が素晴らしく、若い人材が集まっていますね。
岡先生:
新しい研修医制度になってから、同院でたくさん経験を積みたいと自ら応募してくる研修医が多くいます。
研修医は若いうちにたくさん経験し、指導を受けることが重要です。
そうすると、病院も活性化し、外科を目指す医師がさらに集まると思います。
奥田先生:
色々な治療を行うには循環器内科や透析のバックアップが必要な場合があります。
透析クリニックもお持ちなのは、そのためでしょうか?
岡先生:
当初は循環器内科や腎臓内科はなかったのですが、やはり全身を診る観点で必要です。
特に急性腹症は合併症がたくさんあるため、循環器や麻酔科などのチーム医療がないと対応できません。
それで、必然的にスタッフも増え、ほとんどの診療科が対応できるようになりました。
奥田先生:
腹部救急だけでなく、がん医療も積極的に行われています。
例えば、大腸がんでは民間病院としては非常に多くの手術をされています。
また、化学療法や緩和ケア、終末期医療なども幅広く対応されていますね。
岡先生:
手術後に再発したら終わりではなく、地域医療を目指しているため最期まで患者さんの希望があれば同院で対応したいと思っています。
そのためにも、施設の拡大は必要です。
奥田先生:
きちんと患者さんや地域のために医療を提供していれば、病院は成長できるとお考えでしょうか?
岡先生:
経営に関しては素人でしたが、質の高い医療サービスを提供すれば必ず患者さんは集まってくると思います。
当院の理念は「患者さんが家族だと思って医療を提供する」「患者さんに納得していただける医療を提供する」です。
難しいと思ったのは、リーダーシップをとることです。
悪いように働けばワンマンになってしまう。
それは、肝に銘じて周囲の人に修正してもらいながら、広く耳を傾けることを大切にしてきました。
奥田先生:
先生は理事長に特化して、院長は別に立てられたのも、そのような表れですか?
岡先生:
病院の運営に関しては院長に任せて、理事長はアドバイスする。
他方の病院を知ることが大事なので、今は病院機能評価のSurveyorとして色々な病院を審査させてもらい、自分の病院にフィードバックすることでより質を高めたいと思います。
奥田先生:
守口敬仁会病院を今後、どのように成長させていこうとお考えでしょうか?
岡先生:
他の病院では麻酔科や病院のバックアップの問題で、時間外や休日診療は難しくなっています。
同院は大阪の腹部救急ではトップクラスだと思います。
高齢化であり、急性腹症は絶対になくなりませんので、社会貢献も含めて、新しい病院では腹部救急センターを立ち上げたいと思います。
また、質の高いがん医療を両輪で行っていきます。